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なぜ私は『FE if』のシナリオに没入できなかったのか③白夜編

2026/02/23
(この記事の文字数: 10750)

本記事は「なぜ私は『FE if』のシナリオに没入できなかったのか②暗夜編(『ファイアーエムブレム if』初見プレイ感想)の続きです。(第一回はこちら)

今回スポットを当てるのは「白夜編」です。結論から言えば白夜編は暗夜編に比べて大分マシなストーリーでした。この記事では、そのように感じた根拠を述べ、また、暗夜編には見られなかった白夜編特有の問題点についても言及していきたいと思います。

※注意: 内容はほぼ全編にわたって批判的なものとなります。本作のシナリオを好意的に捉えている方には不快な表現が含まれる可能性があるため、あらかじめご承知おきください。また、私は全ルート1周のみのプレイにつき、理解が甘い点があるかもしれませんがご容赦ください。

シンプルな対立構造がもたらす物語の分かりやすさ

「運命の分岐点」に至るまでの過程において、本作の物語が提示する対立構造は極めてシンプルです。

暗夜王ガロンによる捕虜の処刑命令、無限渓谷へのギュンター突き落とし、そしてミコトをはじめとする白夜王国の人々の殺害。プレイヤーの目には、ガロン率いる暗夜王国は弁解の余地なき「侵略者」として映ります。もちろん背景には暗夜の土地柄や王の変貌といった裏事情があるものの、運命の分岐点においてプレイヤーが抱く「この巨悪を討たねばならない」という動機付けは、白夜ルートにおいて極めて自然に機能します。

暗夜ルートでは「侵略側に身を置きながら、内側から悪を討つ」という、極めて調理の難しい複雑な設定に挑んだ結果、多くの矛盾や支離滅裂なキャラクターの言動が生じ、物語の崩壊を招いていました。それに対して白夜ルートは「侵略者を倒して平和を取り戻す」というシンプルな構造のおかげで「正義 vs 悪」の軸が明快でした。これにより、キャラクターの心情描写に矛盾が生じにくく、プレイヤーである私も物語の進行を素直に受け入れることができました。

この構造の差が、両ルートのシナリオの完成度を分ける決定打となっています。全体のストーリーラインとして致命的な破綻を回避できていて、暗夜編で感じたような作劇に対する「ドン引き」はありませんでした。

とはいえ、手放しで白夜編の物語が優れていたわけではありません。要所要所には相変わらず首を傾げるような突っ込みどころが散見され、シリアスな場面がシュールなギャグに見えてしまう「if 特有の危うさ」は健在です。

また、暗夜編で「物語やキャラクターの整合性が瓦解していく様」を浴び続けた結果、私の正常な感覚は麻痺していました。本来なら素直に楽しめるはずの王道な展開に触れても、「これも書き手の不備による、無意味な描写ではないか?」と、重箱の隅をつつくような疑心暗鬼が先行し、すべてのシーンを「粗探し」のように捉えてしまう歪なものとなっていたのです。

暗夜編という「猛毒」による後遺症

裏切り者として疑いきれないゾーラ

前述した通り、白夜編を遊ぶ際、私は物語そのものとは別のベクトルで、常に強い警戒心を抱かざるを得ませんでした。それは、先にプレイした暗夜編という「常識が通用しない作劇」を摂取したことによる後遺症のようなものです。

白夜編の物語中には、裏切り者の存在を示唆する推理要素がいくつか用意されています。そのひとつが、9章で敵として登場し、続く10章で仲間に加わるゾーラです。

敗北時に「お間抜けさんたち、さよおなら~!」と吐き捨てて逃亡を図った直後、レオンに処刑されそうになったところをカムイに救われます。

その後、手のひらを返したように「私めもお仲間に加えていただけないでしょうか?」と同行を申し出ます。あまりにも露骨に怪しい行動ですが、カムイの甘すぎる一存によって、彼は軍に加わることになります。

その後、ゾーラは身を挺してタクミを庇い、負傷します。

出会ったばかりの相手を命がけで守る。普通に考えれば、これほど急激な「善人への変貌」は、裏の目的を隠すための芝居だと考えるはずです。しかし、ここで暗夜編での経験が私の思考を歪ませます。

 「これは『if』のシナリオだ。裏があるのではなく、この不自然なゾーラの人格の変化は、本気で書かれているシナリオなのかもしれない」と。

結果としてゾーラはガロンと内通していたことが発覚します。本来なら子供でもわかるような露骨な前振りが「やっぱりそうだったか」と腑に落ちるだけの場面です。それなのに、私が抱いたのは人物像の整合性が破綻しなかったことに対する奇妙な安堵だったのです。

「内通者ではない」と断定できないフローラ

この「作劇への不信」は、17章のフローラの場面でも繰り返されます。

ゾーラの件が終わった後にも、仲間の中に「内通者」がいることが示唆されます。

そして、16章ではマクベスが「…コウモリはすでに、あなた方の中にいる。」と発言します。

16章で立ち寄ったマラカス宮殿では、偶然にもフローラが働いていました。カムイがいなくなってから王宮を追放され、ガロン王の別邸であるマラカス宮殿で下働きをさせられているとのことでした。

しかし、17章ではそのフローラがカムイ暗殺を目論んでいたことが発覚します。

彼女が登場する前から、アクアは「内通者がいる」と警戒していました。しかしフローラは、ついさっき再会したばかりの人物。時系列を考えれば、マクベスが言っていた「すでに潜んでいるコウモリ」が彼女であるはずがありません。しかし、私の脳裏には別の懸念がよぎります。

「『if』のシナリオなら、前章のロジックなど平気で放棄して、強引にフローラをコウモリに仕立て上げかねない」

結局、コウモリの正体はタクミであり、私の危惧は杞憂に終わりました。しかし、これは白夜編が正しく用意した推理要素を、私が暗夜編の経験によって純粋に享受できなくなっていた証拠でもあります。

これらは白夜編のシナリオ単体の不備ではありません。しかし、暗夜編で「人格や動機の連続性を無視した言動」を散々見せつけられた結果、私の論理的思考が麻痺し、真っ当な前振りすら「ただの描写不足」に見えてしまっていました。暗夜編という「最悪のパターン」が、別ルートの推理難易度を(悪い意味で)跳ね上げている事実に、暗夜編の抱える問題の罪深さを改めて痛感させられます。

さて、ここまでは暗夜編を最初に遊んだ前提として白夜編の物語をどう感じたのかについて書きましたが、以降は白夜編特有の演出や設定の問題について書いていきます。

白夜編15章:ギャグ漫画のようなスズカゼのカムイ救出劇

白夜編15章では、カムイとスズカゼの支援レベルがAに達していない場合、マップクリア後に彼が死亡し、軍から強制離脱するイベントが発生します。なんの予兆もなくプレイアブルキャラクターが失われる仕様もいかがなものかと思いますが、それ以上に受け入れがたかったのは、その最期を彩る「ギャグ漫画と見紛う不自然な演出」の数々でした。

人間投石器スズカゼ

敵の魔法具によって崖が崩落し、転落しそうになったカムイの手をスズカゼが間一髪で掴む――。本来なら涙を誘う献身的な救出シーンですが、そこで彼が見せた手法は驚愕に値するものでした。

スズカゼは崖際という不安定な足場、かつ力の入らない倒れ込んだ姿勢でありながら、「はああああああっ!!!」という気合とともに、まるでボールでも放り投げるかのように片手一本でカムイを数メートルも天高く投げ飛ばしたのです。

仮にどれほど踏ん張りのきく姿勢であったとしても、片手一本で人間を上空へ放り投げることなど物理的に不可能です。しかし、スズカゼはそれを力の入らない姿勢からやってのけ、その直後に自らはわざと落ちていくかのように不自然に崖下へと消えていきます。

もしそれほどの怪力があるのなら、投げ飛ばすまでもなくカムイを崖上に引き上げることなど造作もなかったはずです。二人とも助かる道が残されている状況で、なぜあえて自死するかのように崖下へと消えていったのか。演出の粗さを補完しようとすれば「実はカムイを救うフリをして自決したかったのではないか?」という考えすら浮かんでしまいます。

暗夜編でも一部言及しましたが、本作では「人の死」という重いテーマを扱う場面において、こうした不条理な演出が余りに多く散見されます。シリアスな場面にツッコミたくなるような違和感が加わってしまうと「シュールな可笑しさ」が生まれます。たとえ制作上の制約があったとしても、キャラクターの最期にその尊厳が失われてしまうのは、あまりにも残念なことです。

ギャグ漫画のような生存ルート

さらに、支援レベルがAに達していた場合のスズカゼ生存ルートも、負けず劣らずツッコミどころが満載です。

ここではスズカゼが反対側の崖に都合よく設置されていた魔法具を発見し、それを手裏剣で狙い撃って爆発させ、その爆風によって二人まとめて崖の上まで吹き飛ばされて助かります。

まるでギャグ漫画のような展開。

大人二人を崖の上まで押し上げるほどの衝撃波が発生している以上、現実世界であれば爆発に伴う岩壁の鋭い破片が弾丸のように二人を襲い、血まみれになっていてもおかしくありません。また、強烈な爆発による鼓膜の損傷や内臓へのダメージがあっても不思議ではありません。

しかし、あろうことかカムイは「ちょっとだけ熱かった」という緊張感の欠片もない一言のみ。

竜の血を引くカムイはともかく、常人であるはずのスズカゼまで無傷なのは、あまりに現実味がありません。

「スズカゼが助かったこと」と「支援Aになっていたこと」に一切の関連性がない

何より作劇として致命的なのは、「支援レベル(絆の深まり)」と「スズカゼ生存の理由」に論理的な結びつきが一切ないことです。

カムイとスズカゼの支援Aの会話では、過去のスズカゼの過ちの懺悔とカムイへの忠誠を誓う場面が描かれます。

しかし、スズカゼ生存ルートでは「スズカゼがたまたま反対側の崖に魔法具を見つけられた」ことで助かります。それはカムイとの絆とは本来無関係なはずです。もし「絆が奇跡を起こした」という類の演出であれば受け入れようもありますが、提示されたのは「偶然発見した魔法具を爆破して助かる」という絆の深まりとは全く関係ない解決策。それならば、なぜ支援が足りない時にはその魔法具を見つけられなかったのか説明がつきません。スズカゼが己の命を犠牲にしてカムイを助ける死亡ルートの方がまだ二人の絆を感じられます。

結局のところ、この生存劇には論理的な必然性がどこにもありません。そこにあるのは、システム上の条件を満たしたかどうかで状況が書き換わる、無機質なゲーム的なフラグ管理だけです。キャラクターの命を、フラグに合わせて適当な演出で埋め合わせるメタ的な道具として扱うこのシナリオは、命を懸けた献身や絆を、この上なく安っぽく、形骸化させてしまっています。

白夜編17章:設定と演出によって台無しになるフローラの死

スズカゼに続き、17章で描かれるフローラの最期もまた、あまりに露骨な「悲劇の押し売り」に心底落胆させられる場面でした。

フローラは、暗夜王国を裏切った主人カムイの責任を取るようガロンから残酷な選択を突き付けられます。カムイの暗殺か、氷の部族の皆殺しか、さもなくば自身の処刑か――。彼女は、苦渋の決断としてカムイの暗殺を選びますが、それにも失敗してしまいます。カムイ暗殺に失敗したフローラは自身の行いを懺悔し、その先に自らの命を絶つことを選択します。物語のシチュエーション自体は痛切なはずですが、その実行手段がすべてを台無しにします。

氷の部族を焼き尽くす設定のない謎の炎

彼女がカムイたちの前から離れて腕を振り上げると、突如としてその身が激しい炎に包まれます。フェリシアが冷気を放って消火を試みるものの、その炎は勢いを増すばかりでした。

そしてフローラは、フェリシアへ謝罪の言葉を残したまま息絶えます。

氷の部族である彼女が、自身のルーツを否定するかのように焼死を選ぶ――。このショッキングな絵面を作りたいという制作側の意図は理解できますが、問題はその「炎の正体」が一切不明であることです。

猛吹雪の中でさえ燃え盛り続けるその炎は、魔法なのか呪いなのか。何の説明もないまま「絶対に消えない炎」という都合の良い舞台装置が持ち出される展開に、私の心は「またか…」と一気に冷めてしまいました。

直後、カムイはフローラを追い詰めたガロンへの怒りをあらわにします。

しかし私には彼女がガロンに殺されたというよりも、「凄惨なシーンを作るためのシナリオの都合」によって殺されたようにしか見えませんでした。演出が稚拙すぎるあまり、劇中のキャラクターが抱く怒りに、一歩引いた視点のプレイヤーが共感するのはもはや不可能なのです。

姉の死の直後なのに呑気に「はわわ」言ってるフェリシア

さらに物語への没入感をトドメの一撃で破壊するのが、直後のマイキャッスルでの出来事です。

姉があれほど凄惨な焼死を遂げた直後だというのに、拠点に戻るとフェリシアはいつも通り「はわわ」と呑気に出迎えてくれます。

「姉があんな亡くなり方をした直後に、なぜ普段通りのテンションで案内役をできるのか」

ここで案内役がジョーカーに代わっている、あるいはフェリシアが持ち場を離れて憔悴しているといった、最低限の配慮さえあれば、物語への整合性は辛うじて保たれたでしょう。しかし、ゲームシステムの都合を優先し、物語の余韻を完全に切り捨てたこの仕様は、本作がいかに「ドラマを記号としてしか扱っていないか」を象徴しているようで、残念でなりませんでした。

白夜編20章:不自然すぎるアクアのセクシーな倒れ込み

白夜編20章、黒竜砦に閉じ込められたカムイたちは、アクアの歌の力によって窮地を脱します。しかしその直後、アクアは力を使った代償により苦しんでいました。心配するカムイを遠ざけようと人気のない場所へ移動するアクアでしたが、カムイもまた彼女を案じて後を追います。


そこで描写されたのは、あろうことか「こちらを見つめながら、セクシーな姿勢で倒れ込むアクア」の姿でした。

この場面、あまりに状況が不自然です。アクアは倒れ込みながらしっかりとカメラ目線、つまり追ってきたカムイを見据えているのですが、二人の位置関係や直前の行動を考えれば、カムイの視点から見えるアクアは背を向けているか、横向きに倒れているのが自然なはずです。わざわざカムイの方を向き、肢体を強調するように崩れ落ちるその不自然な倒れ方には、強い違和感を抱かざるを得ません。

本来、ここはアクアの歌の代償がいかに残酷なものであるかをプレイヤーに知らしめ、彼女の身を案じさせるべき重要なシーンです。しかし、これほど露骨に「セクシーなアクア」を演出として突きつけられると、悲劇性よりも「プレイヤーを喜ばせたい」という制作側の独りよがりなエゴが先行して見えてしまいます。実際にそのような意図があったのかはわかりませんが、物語の重みを描くことよりも、キャラクターの性的消費を優先したような見せ方に、私はただただ興醒めしてしまいました。

さらなる落胆は、白夜編の物語の最後に訪れました。ガロン討伐後にアクアが消滅してしまう終章のシーンを見た時、第20章で見せたあの不自然な姿勢が、実はこのシーンの一部を切り取った姿勢であったことに気づいたからです。

20章のイラストは、終章のアニメーションと同じ構図であり、表情のみを差し替えたような作りになっていました。 もちろん、これが単なる手抜きではなく、あえて既視感を抱かせる意図的な演出であった可能性も否定はできません。中盤に見た光景が、最期の瞬間に別の意味を持って繰り返される手法自体は、物語を彩る美しい伏線になり得ます。

しかし、たとえ演出上の意図があったとしても、その起点となった第20章での構図があまりに不自然であったことが仇となっています。カムイとの位置関係を無視してまで、終章のアニメーションと同じ「カメラ目線のポーズ」を優先した歪みは隠せません。

これが仮に物語のクライマックスとそこに至る過程を繋ぐための「既視感」として意図的に用意されたカットだったとしても、本作においてはブラッシュアップ不足を象徴するノイズとなってしまっていると言わざるを得ません。

白夜編24章:「悲劇の鉄板ネタ」と化したリリスの死

白夜編24章、秘密の通路を抜けた先は、暗夜王国の訓練場にある竜の像の真下でした。

ここでまず呆れかえったのは、カムイたちの無警戒さです。敵陣のど真ん中に出たという自覚があるはずなのに、彼らは隠れようともせず堂々と訓練場の中心に立ち尽くし、案の定ガンズの部下に見つかってしまいます。

暗夜兵が「像の下に何者かが!」と叫んでいるため、設定上は隠れていたのかもしれませんが、画面上のカムイたちはこれ以上ないほどオープンに鎮座しています。隠密行動という言葉を辞書で引いてほしくなるほどの無防備な振る舞いには、ツッコミを入れずにはいられませんでした。

当然のように戦闘が始まり、多勢に無勢で押し込まれる一行。そしてガンズがカムイに斬りかかろうとした瞬間、何の前触れもなく唐突にリリスが現れ、その一撃を身代わりに受けて倒れます。

 

悪夢再来。

「どうしてもこのシナリオは、リリスを殺さなければ気が済まないのか」と、私は再び落胆に包まれました。

ガンズ撃破後、息を引き取るリリスを前に、カムイはいつものように「うっ……うわあああああ……っ!!!」と絶叫します。暗夜編で見たものと同じ光景です。

本来であれば、ここは涙を誘う悲劇的なシーンであるはずです。

しかし、不謹慎なことに私の心に湧き上がったのは、悲しみではなく、抑えきれない「可笑しさ」でした。

脈絡のない仲間の死を何度も見せつけられ、さらに「カムイの絶叫」というワンパターンな演出を浴びせられ続けた結果、私の中でこの叫びは「お笑いの鉄板ネタ」のようなものに変質してしまっていたのです。

「くるぞ、くるぞ……ほら来た!」と、期待通りのオーバーリアクションを見せられた瞬間、悲劇は「お笑い」へと変化してしまいました。

仲間の死を笑ってしまう。客観的に見れば不謹慎極まりないプレイヤーのリアクションですが、そう思わざるを得ない心理状態まで私を追い込んだのは、他ならぬこのシナリオの積み重ねです。白夜編の終盤に至ってもなお、暗夜編で受けた「毒」は浄化されるどころか、より深く回っていたのです。

結局、リリスがどうやって戦場に現れたのかという説明は一切なく、残されたのは理解不能な状況のみ。本来なら致命的な脚本の欠陥ですが、「カムイの愚行でリリスを死なせた暗夜編に比べれば、まだマシ」とすら思えてしまう。最悪な展開を先に経験したせいで、異常な事態にすら相対的なマシさを感じてしまう自分自身の感性に、ただただ釈然としない思いが残るばかりでした。

白夜編25章:紙芝居にもなってないタクミ裏切りのシーン

白夜編25章では、洗脳されたタクミがカムイたちを裏切り、アクアを拘束する危機的な状況が描かれます。

緊迫したやり取りの後、タクミがわずかに意識を取り戻した隙を見て、アクアがタクミの洗脳を解くために「ユラリユルレリ」を歌い始めます。BGM が切り替わり、大きく展開が変化する場面です。

マクベスが歌を妨害しようと動きますが、そこにサクラの攻撃が命中する効果音が鳴り響き、アクアを守り抜きます。

劇的な展開が続くこのシーンですが、私はここで堪えきれずに笑ってしまいました。

なぜなら、これほど状況が変化している中、画面上では「アクアがタクミに捕まっている一枚絵」が約1分半もの間、ずっと表示されたままだったからです。タクミの葛藤も、アクアのユラリユルレリ熱唱も、サクラのマクベス攻撃も、すべてが「同じ一枚の絵」の上でテキストと音声のみによって進行していきます。音声ドラマにたった1枚の静止画が添えられているだけのような状態。紙芝居にすらなっていません。そのあまりのシュールさに「いつまで同じ絵なんだよ!」と突っ込まずにはいられず、もはやコントを見ているような気分になってしまったのです。

このシーンで、私はある種の確信を持ちました。

「このゲームは、作りかけのままリリースされたのではないか」と。

本来であれば、ここは状況に合わせて複数の挿絵や3Dモデルの演出が差し込まれるべき場面です。仮で用意した一枚の挿絵をそのままに、ブラッシュアップする時間が確保できないまま製品版として発売されてしまったのではないかと思えてしまう作りです。

これまで見てきたシナリオの練り込み不足や演出の甘さも、すべて「開発時間の不足」という背景があったと考えれば、腑に落ちてしまいます。特に暗夜編が白夜編、透魔編に比べて粗が目立っていたのも、開発スケジュールの最後に詰め込まれた結果だったのではないか。そう考えると、十分な時間をかけて物語が洗練された『ファイアーエムブレム if』が見たかったという残念な思いがこみ上げてきます。

白夜編26章:なぜ誰もエリーゼに気づかなかった

白夜編第25章では、ついにカムイとマークスが正々堂々と一騎討ちで決着をつけることになります。二人の決闘の舞台は、出入り口が二箇所しかない、見通しの良い広間です。

決闘を前に、エリーゼは「本当に叶えたいことがあるなら絶対にあきらめちゃだめ」と、不穏なフラグを立て始めます。プレイヤー目線だと嫌な予感しかしません。

リョウマとアクアが広間の入り口で見守る中、ついに二人の刃が交わります。

一騎討ちはマークスが優勢で進みます。マークスがカムイに渾身の一撃を振り下ろそうとしたその瞬間、突如としてエリーゼが二人の間に割って入り、マークスの剣を受けてカムイの身代わりとなります。

何度も見てきた仲間の突然死とカムイの絶叫、もはや私が驚くことはありません。

このシーン、エリーゼが自分の命を顧みず、兄弟の殺し合いを止めるドラマチックな展開ではあるのですが、その状況に関して客観的な視点に立つと看過できないほどの違和感が生じます。

なぜ、エリーゼが二人のもとへ駆け寄る姿に、誰も気づかなかったのでしょうか。

マークスは斬りつける直前までカムイと言葉を交わしており、戦いに集中しすぎて周囲が一切見えていなかったとは考えにくい状況です。遮蔽物のない広い室内で、エリーゼが突如として目前に現れることなど物理的にあり得ませんし、何より入り口で見守っていたリョウマやアクアが、走り出す彼女を止めたり、大声を上げて警告したりといったアクションを何ら起こさなかった点も極めて不可解です。

「献身的なキャラクターが闘う二人の間に割り込んで身代わりになる」というアニメなどでよく見かける古典的な展開ではありますが、本作のシチュエーションに当てはめると、あまりに都合の良すぎる自己犠牲に見えてしまいます。尊い命がまたしても、物語を動かすための「シナリオの都合」によって消費された。そう思わざるを得ませんでした。制作側はこうした雑な自己犠牲の死を見せればプレイヤーが感動するとでも思っているのでしょうか。エリーゼには愛着があっただけに、彼女の死がこのような杜撰な舞台装置として扱われてしまったことは、非常に残念でした。

唯一、これまでの唐突な死亡演出と比べて救いだったのは、エリーゼに事前の死亡フラグがあったこと、そして「なぜ彼女がそのような行動を取ったのか」という行動原理自体には納得感があったことです。何の前兆もなく命が使い捨てられてきたこれまでの展開に比べれば、まだ「マシ」ではありましたが、それだけに演出の細部の雑さが際立つ結果となってしまいました。

白夜編を終えて

結局のところ、白夜編での私の体験は「暗夜編という強烈な毒を浴びた後のリハビリ」のようなものでした。

物語が大きく破綻していないことに安堵する。そんな歪な楽しみ方しかできない自分に違和感を抱き、ある種の危機感すら覚えました。まさか暗夜編の体験が、ここまで尾を引くものだとは思っていませんでしたから。

間違いなく言えるのは、本作は「暗夜、白夜のどちらのルートを先に遊ぶか」で作品への第一印象が180度変わるということです。

もし白夜編を先に遊んでいたら、演出面での突っ込みどころの多さに困惑しつつも、キャラクターの心情や動機そのものには納得感があったため、物語を否定したくなるほどの「ドン引き」を味わうことはなかったでしょう。 暗夜編のような致命的な矛盾がない分、「見せ方は稚拙だが、話としては理解できる」という評価で、フラットに物語を受け入れられていたと思います。

しかし、先に暗夜編で「想像を絶するほど破綻した物語」という猛毒を浴びてしまった私には、もはや白夜編の物語を真っ当に受け止める感性は残っていませんでした。整合性の取れた描写にさえ「何か裏(描写不足)があるのではないか」と勘繰る不信感。そして、仲間の悲劇的な最期にすら失笑を漏らしてしまう歪なリアクション。それらはすべて、暗夜編の作劇への不信が私の感性に深く根付き、物語を純粋に享受する機能を奪い去った結果に他なりません。

そして、両ルートを終えてもなお、私の胸には解消されないモヤモヤが残っていました。カムイが竜化できる理由、アクアの正体と彼女が抱える真の目的、暗夜と白夜の両国が鏡合わせのように存在する理由、ガロンを変貌させた「ハイドラ神」と透魔王国の実態、それらの謎が何一つ解明されていないからです。

表面的な平和は訪れたものの、根本的な問題は闇に包まれたまま。私に残された道は、第三の物語「透魔編」へと進むことだけです。

果たして、これら全ての謎は解決し、納得のいくフィナーレを迎えることができるのか。次回、「透魔編」におけるさらなる混乱に触れつつ、結局『FE if』の物語とは何だったのか、総括を述べたいと思います。

続き:「なぜ私は『FE if』のシナリオに没入できなかったのか③透魔編」(後日公開したらリンクします)


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